クリティカル・レスポンス・プロセス

by リズ・ラーマン

2006年にNPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク(JCDN)が、リズ・ラーマン・ダンスエクスチェンジの招聘事業を行った際、ラーマン氏にクリティカル・レスポンス・プロセスの実演とレクチャーを実施してもらった。この翻訳資料は、リズ・ラーマン著「Critical Response Process」の一部分をラーマン氏の了解と協力を得て、当時のカンパニーメンバーだった中村栄和氏が翻訳したものです。

クリティカル・レスポンス・プロセスについて

by リズ・ラーマン(訳:中村栄和)

<イントロダクション>

 数年前にはっきりと気づいたことだが、私はおおむね批評と言うことに関して、かなり不快な感情をいだいていることがわかった。それまでの私は、芸術を作る過程や、それを鑑賞したり、芸術をつくることを他の人に教えたりすることに、長いあいだ関わっていた。しかし、批評を与えることと受けること、この二つの行為の中に生じる数々の疑問や様々な感情に対して、それを自分がどのように処理していいか分からず、私の胸からは歯がゆい気持ちが消えなかったのだ。いわゆる、「フィードバックセッション」とよばれる一連の行事は、えてして残酷なものとなり、役に立つような代物でもないと、私の目には映ってきていた。舞台が終了した後、楽屋口や舞台裏で交わされる儀礼のような会話の中に、自分が求めている情報をどうやったら見つけることができるのか――それを得ることも難しかったし、逆に相手に伝えることも難しかった。他の誰かの公演を見にいって、観客席で鑑賞している自分の心の中に刻まれる印象が、舞台の上で繰り広げられる作品に対する自分の不満でいっぱいになっていくとき、私はそういう自分とどう付き合ったらいいのかわからず、途方にくれることもしばしばだった。

 レジデンシ―の一環で、私は目の前にいるダンサーたちや振付家などのことをよく知らないまま、彼女たちの作品に対するコメントを求められることがあるが、そういう行為が苦痛にもなってもきた。さらには、振付を教える自分の考え方に関して、その基本的信条をも疑問視を始めた。生徒たちの創った作品に対する自分の返答が、本質的にいかなるものなのか、よく分からなくなってきたからだった。生徒たちに多くを語ることができる自分。それが問題なのではない。引っかかったのは、なぜ自分がそれを言っているかだった。

 以上あげてきたことは、私の中では疑問の余地のないほどはっきりしていた。振付家として作品発表の機会が増えていくにしたがって、私が心を開いてその人の意見を聞くことのできる、そんな人の数はしだいに減っていった。それは私に批評を言ってくれる人の言葉が、殆どその人なりの趣味や、その人が見たかったことなどを述べているにとどまり、私の作品それ自体についての建設的議論とはなっていなかったからだ。それらの批評は、私が創ることのできるであろう、あるいは想像してみることのできるであろう最高のダンスを、私が創っていくことの手助けをしてくれるような、そんなものではおよそなかったように思われる。

 また逆に、私自身、他の振付家の作品を見に行くたびごとに、その舞台に対する自分の批評が、「私だったらあのようにはしない」というような、個人的意見に終始したものになっていたようにも思う。自分の考えや趣味・嗜好が、その舞台上で繰り広げられている作品の中に見出せなかったとき、その作品に対してより批判的になっている自分――つまり、私の中の批評家は、鑑賞している作品についてよりも、むしろ私自身のことについて多くを語っていたのだ。

 それで2・3年前から、公平な返答と言うものを、どうにか組織化・体系化できないものか考え始めたわけである。この試みはすべて、振付家としての私自身の経験と体験に立脚した形で進められた。そこで発見したことだが、私が自分の作品に抱いていた疑問点を公にすればするほど、そこから誘引される「どうすればその問題を解決できるか」という会話に、自分自身がより熱心になってくるということだ。これはカンパニーのダンサーたちとのリハーサル中や、私の夫ジョン・スペルマン、他の振付家、また友人たちとのディスカッションの中で、私が無意識的に使っていた会話の様式である。新作を創っていく上で必ず出くわす疑問や混乱している個所を、自分の方から、はっきり言葉として公にしゃべることで、抱えていたジレンマから抜け出せることがよくあった。

そこで私は、アーティストが、自分の作品に向けられる批評のやり取りの、一部始終をコントロールすることができたらどうなるのだろう、ということに思いを巡らし始めたのである。アメリカン・ダンス・フェスティバルやコロラド・ダンス・フェスティバルなどでダンス・コンポジションを教えながら、私は様々なやり方を試してみた。ここで気づかされたことは、生徒たちに自分がより優しい気持ちで質問を投げかけていくことで、私とその生徒がその作品創りにおいて、より深くかみ合うことができるということだ。そこで行われるフィードバックセッションでは、創り手の動機や、作者にとってそのダンスがいかなる意味合いを備えた作品であるか、という点について基本的に議論されるようになっていった。そして、自分の抱いている疑問点や伝えたいことがいかなるものであろうとも、実はこの形式を踏むことによって、それらを作者に伝える事ができるということが分かったのである。またその際、聞き手の方に見うけられるはずの抵抗感というものが、皆無に等しかったのである。

〔これらの経験を基に、私はクリティカル・リスポンス・プロセスというフィードバック形式を構築した。〕このプロセスが実際上、成立し、うまく進むためには、参加者が念頭に置いておく必要のある基本条件がいくつかある。これは、作品を創る側、つまりアーティスト・クリエイターと、その作品をみる側・リスポンダー、つまり鑑賞者・返答者の双方に求められるものだ。まず、アーティストは自分の作品における疑問点のいくつかを把握していて、それを公の場で話し合うことに対して、幾分心の準備ができている必要がある。また、「これが今まで見てきた作品のうち、最高の傑作だ!」というような賛辞をもらうことばかり考えるのではなく、そうではない、それ以外の建設的コメントを他の人から聞く気持ちで臨むことである。アーティストは全員この言葉を待っているもので、それ以外のものを聞くのはそんなに面白くはないものでもあるが。

 リスポンダーに最初に求められる条件には、二つの心がけがある。最初のものは、「そのアーティストに素晴らしい作品を創ってもらいたい」という気持ちで、セッションに望むことである。時々思うことだが、作品を見る人の心は、その作者にそれ以上の上達を、本当は望んではいないのではないだろうか。いろんな理由がそこには潜んでいることだろう。また、これは特に、自分と同じ分野における作品と対峙した際に、顕著に出てくる心境でもあるかもしれない。だから、たとえ私がここで、「アーティストがより伸びていくように。その作品が〔作者の嗜好に添った形で〕より素晴らしくなるように」彼らに向けて思いと言葉をだしていきましょう、といってもそう簡単にいくものではないのかも知れない。しかし、やってみるだけの価値はあるし、やると不思議にいい結果が現れるものだ。

二つ目は、リスポンダーは自分の抱いている意見や提案を、「ニュートラルな質問」という形に変換してクリティカル・レスポンス・プロセス についてみる、またそれが可能であるということである。

このクリティカル・リスポンス・プロセスは、おおむねアーティストの必要性に沿うように形作られているが、ファシリテイターとよばれる進行役をおいて、ディスカッション全体の舵取りを仕切ってもらうことが重要である。この進行役の仕事は、常にプロセスの流れをチューン・アップし、微調整し続けることである。どう進行役が舵取りすればベストのクリティカル・リスポンス・プロセスがうまれるのか、どのような形体がより望ましいのか、私自身いまだに考えつづけている。だからプロセスに入る前に、「もしかしたらこの途中で、私自身も困惑してしまい、このサークルが、あるべきクリティカル・リスポンス・プロセスの姿についての議論で盛り上がってしまい、作品に対する議論を一時ストップせざるを得ない事態になるかもしれません」(これは実際にあったことでもある)と打ち明けることも、ときどきやっている。〔現在は基本の4Stepsを確信をもって薦めている〕しかし、このような正直な精神態度が、結果として質のいい批評の飛び交う環境を、そのサークルの中に作り出してもいるわけだ。

ここで、具体的プロセスの説明に入ろう。公演が終わって次の日、〔すぐ後でも、製作途中でも構わない〕進行役とアーティスト、それにその作品を鑑賞した人で、それについていろいろ議論したい人が一箇所に集まる。これはアーティストさえよければ、公演のすぐ後でも構わない。振付のクラスでは、作品の長さに関係なく、一つの発表が終わった時点で始めてもよい。実際に、(ショートヴァージョンということで、各Stepを簡略化することで)たった5分であっても可能である。逆に、参加者がもっと話したければ、それに応じてロングヴァージョンにしてもよい。

▶︎ リズ・ラーマンによる動画解説

Step1:Statements of Meaning――心に残ったこと

人は誰しも、たった今自分が行ったパフォーマンスが、たとえそれがどんなに短いものであったとしても、それを見た人にとって、何かしらの意味合いをもって受け取られていることを確認したいものだ。この自然な感情は、時として「是が非でも」、という切迫した様相を呈することもある。私も実は経験していることだが、人に初めて自分の作品を見てもらうときは、それが製作途中のものであっても、完成した作品、あるいは、新作、もしくは古い作品であっても、自分がとてももろくはかない存在に感じられることがある。それで、これは私にとって理にかなっていると思えることなのだが、最初の言葉・リスポンスは何かしら肯定的な装いをそなえたものであるべきだ。(忘れてはいけないことだが、「これこそ今まで見てきたなかで最高の作品だ!」と、述べる必要は全くない。リスポンダーは自分に正直でありさえすればいいだけだ。)そこで、考えてみたいのだが、「肯定的な装いをそなえた」フィードバックには、一体どのようなものが考えられるだろうか。私が思うに、以下のような言葉を参考にすることができると思う。「あなたが、あそこで、このようなことをしたが、私はそれを見て、びっくりした。」あるいは、「あの部分、理解はできなかったけれどとても興味深く感じた。」などとか、「おもしろかった」「思わず引き込まれてしまった」「うれしくなった」「ユニークだった」「感動的だった」「表現しようとする、毒っ気がうまく伝わってきた」「今までとは違ったあなたを見た」「面白かった」などである。

私以外にも、フィードバックのやり方・そのあり方について、いろいろ研究している人やグループが多数存在していることは承知している。その中の一つが、現在熱心に取り組んでいる方法で、「これこれこういうことを自分は見た」と言うことで、フィードバックと彼らはしている。彼らいわく、フィードバックには肯定的内容も否定的内容も存在しない、とのことらしい。私もこれを、クリティカル・リスポンス・プロセスのステップ・ワンで試してみた。しかし、結果的には、やはり建設的で肯定的な情報の提供、というスタイルに戻らざるを得なかった。こういう風に述べると、「(クリティカル・リスポンス・プロセスは)肯定的コメントを求めすぎている」とか「(批評を受けることに対して、このプロセスは)繊細になりすぎている」などと、反論してくる人もいるだろう。しかし、長年このプロセスを試してみた結果、このスタイルがたくさんの方々の支持を得るものであるということが分かった。やはり私には、ある作品の批評をするに際して、最初の言葉というものは、作品を見ていて、自分が感じ取った特別な何かを、まず一言にし、それを「肯定的な装い」にしたものが、よりふさわしように思われる。こうしてフィードバックセッションを始めることが、私は理にかなったものだとも思う。

Step2 : Artists Ask Questions――アーティストからの質問

アーティストが、このステップで質問をすることになる。このアーティストが、現在自分が取り組んでいることについて、また、自分がどんな点を疑問としているかについて、より明確であればあるほど、このサークルの中で取り交わされる会話が、熱の入った、意義深いものとなっていく。このアーティストからの質問は、より具体的で明解なものであることが必要である。つまり、「どう思ったか聞かせて?」と言うような問いかけではよくないのだ。私のNY在住の経験からだが、人はそのように口にはしていても、本当のところそうは思っていないものである。もし、その人に対して、私が思っていることを本当に打ち明けたとしたら、その人はすぐさま心を閉ざしてしまうからだ。しかし、もしかりに、次のように問いかけたとしたらどうであろうか。「あの時の私の腕の動きについいてだけど、こういう風にするのがいいと思う?それともこうかな?」あるいは、「強烈な情感を、あのセクションの中で出そうとしているんだけど、見ててどう感じた?」と言う風にである。ここで分かると思うが、アーティストは自分の質問に対する答えを待っている体制にあるので、リスポンダーは自分の思うことを正直に答えてあげればいいのである。

ここで進行役の果たすべき役割の一つに、このアーティストが抱えているであろう疑問点を、明解な質問として、サークルに提示できるようにヘルプすることがある。自分の作品についてよく分析ができて、現在直面しているジレンマや不満な点などを、簡単に、クリアーな質問として問いかけることのできる人もいる。また、一方では、それを全く新しい人生の課題ととして捉える人もいるものだ。あるアーティストが、とても漠然とした質問をしたとしよう。進行役は、このアーティストがその問いを、より具体的なものにする作業を手伝うことになる。そのポイントがどこにあるのか、彼女の分析を手助けするのだ。

ここで大事なことなのだが、最初に、アーティストの方が、自分の問題としている点を提示することである。(それが漠然とした質問である場合)進行役は、その質問に自分なりの答えを出すのではなくて、アーティストにいくつか質問することによって、彼女の分析を手助けするのである。

これまでアーティストとして、あるいは進行役として、クリティカル・リスポンス・プロセスに参加してきた私の経験から言える事は、アーティストはおおよそ、作品を見ている人たちが抱いている疑問と同じ疑問点を持っているということだ。だから、アーティストがその質問を投げかけることによって、誠実に議論を進めようと熱が上がり、そのサークルを包む場の雰囲気が、その透明度を増していくのだ。

Step3 : Responders Ask Neutral Questions――ニュートラルな質問

ここでは、リスポンダーが、内心抱いている意見や提案を、ニュートラルな〔中立的な〕質問に変換して、アーティストに投げかけることになる。つまり、「この作品は長すぎる。」と思っているところを、次のように、〔自分の嗜好などから生じる意見や提案などを横において、〕質問してみるのである。「あの出演者が円になったセクションでは、何を観客に伝えようとしたかったのですか?」だとか、「観客に一番伝えたいと思っていたことは何だったのですか?また、それは、作品の中でどの部分に表現されていたか、お話ください」と、言う風にである。

ここも、進行役が積極的に働く必要のあるステップである。多くの人にとって、ニュートラルな質問をすることは、努力を要することでもあるし、「批評をすることがポイントなのに、これでは(的がずれたものとなり)ばかげて見える」と思う人もいるであろう。しかし、そのアーティストが、その人にとって重要な課題や疑問点に目を向けるようになるためには、このニュートラルな質問を形成し、問い掛けるというプロセスが必要不可欠のものであると、私自身確信している。

この作業は、ある人にとっては、本心を隠して話すことのように感じられるかもしれないし、全くそれに尽きると言う人もいるかもしれない。しかしながら、「何でも私は聞くわよ。なーんでも好きなこといってちょうだいな!私はどんな批判でも怖くないのよ!」と肩肘をはって、頑なに自分をガードするアーティストであっても、このプロセスを何回か踏んだあとでは、かなり柔軟に、また熱心に、このクリティカル・リスポンス・プロセスに参加している姿を、私は何度となく見ている。他の人の口から、どんな素晴らしい考え方やアイディアの種を、得ることができるかもしれないと、よりオープンな気持ちで臨むと、実はそのセッションから多くのことを学ぶことができるものである。

忘れたくない重要なポイントは、このプロセスは、アーティストに、どのように彼らの作品を改善し、伸ばして行くべきかをいうものではないということだ。そのため、このプロセスは、立場上フィードバックでは、相手に「教える」という見地から助言をすることになれた人にとっては、ちょっと難しく感じられるかもしれない。そういう人は、たとえば教師であったり、芸術監督をされている人たちで、作品を「修正」することをもって仕事としている人たちである。(批評家については、まだよくわからない。私がまだ彼らと一緒に、このプロセスを試してないからだ。)ある人にとっては、真実を伝えるという、自分にある当然の権利が、このシステムでは取り上げられるように感じられるかもしれない。ここで私が見つけたことは、次のようなことである。つまり、自分が何かしら重要だと感じたことは、このこの手順(クリティカル・リスポンス・プロセス)を通して言うことができるということだ。また、この手順に従っていては言えないようなことは、ただその場で相手に聞いてももらえないだけで終わるか、意外とそんなに重要でないことであったりするものだ。

Step4 : Permissioned Opinions――許可をもらっての意見

ここでは、リスポンダーが、内心抱いている意見や提案を、ニュートラルな〔中立的な〕質問に変換して、アーティストに投げかけることになる。つまり、「この作品は長すぎる。」と思っているところを、次のように、〔自分の嗜好などから生じる意見や提案などを横において、〕質問してみるのである。「あの出演者が円になったセクションでは、何を観客に伝えようとしたかったのですか?」だとか、「観客に一番伝えたいと思っていたことは何だったのですか?また、それは、作品の中でどの部分に表現されていたか、お話ください」と、言う風にである。

ここも、進行役が積極的に働く必要のあるステップである。多くの人にとって、ニュートラルな質問をすることは、努力を要することでもあるし、「批評をすることがポイントなのに、これでは(的がずれたものとなり)ばかげて見える」と思う人もいるであろう。しかし、そのアーティストが、その人にとって重要な課題や疑問点に目を向けるようになるためには、このニュートラルな質問を形成し、問い掛けるというプロセスが必要不可欠のものであると、私自身確信している。

この作業は、ある人にとっては、本心を隠して話すことのように感じられるかもしれないし、全くそれに尽きると言う人もいるかもしれない。しかしながら、「何でも私は聞くわよ。なーんでも好きなこといってちょうだいな!私はどんな批判でも怖くないのよ!」と肩肘をはって、頑なに自分をガードするアーティストであっても、このプロセスを何回か踏んだあとでは、かなり柔軟に、また熱心に、このクリティカル・リスポンス・プロセスに参加している姿を、私は何度となく見ている。他の人の口から、どんな素晴らしい考え方やアイディアの種を、得ることができるかもしれないと、よりオープンな気持ちで臨むと、実はそのセッションから多くのことを学ぶことができるものである。

忘れたくない重要なポイントは、このプロセスは、アーティストに、どのように彼らの作品を改善し、伸ばして行くべきかをいうものではないということだ。そのため、このプロセスは、立場上フィードバックでは、相手に「教える」という見地から助言をすることになれた人にとっては、ちょっと難しく感じられるかもしれない。そういう人は、たとえば教師であったり、芸術監督をされている人たちで、作品を「修正」することをもって仕事としている人たちである。(批評家については、まだよくわからない。私がまだ彼らと一緒に、このプロセスを試してないからだ。)ある人にとっては、真実を伝えるという、自分にある当然の権利が、このシステムでは取り上げられるように感じられるかもしれない。ここで私が見つけたことは、次のようなことである。つまり、自分が何かしら重要だと感じたことは、このこの手順(クリティカル・リスポンス・プロセス)を通して言うことができるということだ。また、この手順に従っていては言えないようなことは、ただその場で相手に聞いてももらえないだけで終わるか、意外とそんなに重要でないことであったりするものだ。

​  準備中  

 ▶︎クリティカル・レスポンス・プロセス(CRP)の実践方法

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